10Nov
こんばんは 第2第4火曜日担当たかだっちです。
先日、電車の中であったできごとなのですが゙…。
それは特急電車のそこそこ混雑した車内で、扉が開いた時でした。
わたしは元々車内で立っていたのですが、駅から乗ってきた若い女の子が扉のすぐ横の端っこの席がちょうど空いたので、そのままストンと座ったのです。その瞬間、まさにお尻が付くかつかないかぐらいのタイミングで「座らんでっ!」と鋭く怒鳴りつける声が。一瞬何が起こったのか分かりませんでしたが、女の子は弾かれたように立ち上がっていました。
すると続けざまに、「私74やでっ!何考えて座っとるんやっ!」と。声の主は女の子の真後ろから乗ってきた女性のものでした。女の子はいたたまれず、その場を離れていきましたが、何事かというその声に驚いた乗客の視線を一身に浴びながらその女性は席に収まり、「ほんまにどういう神経や!」となおもブツブツ大きな声でつぶやきながら周囲をにらみつけるようにしていました。
かばうわけではありませんが、女の子からしたら女性は外見的には黒髪で顔もマスクで覆われぱっと見(よく見たらそれなりに年配には見えますが)おばあちゃん、という風貌ではありませんし、しかも真後ろから乗って来ていて自分が3歩ほど歩いた中で席を譲るべき相手かどうかは見極められなかったと思います。
「どういう神経や!」という女性の言葉が聞こえた時には、大半が関西人であろう乗客が心の中で「おばちゃん、それはアンタや」と突っ込んだんじゃない?というシチュエーションでした。
その後の車内はなんとなく嫌なムードが充満して、わたしももやもやした気持ちのまま乗換駅で下車しました。
乗り換えてから、たまたま来た友人からの他愛もない内容のメッセージのやりとりに、今の出来事を書くと「そのおばちゃんな、買い物行ったら欲しいもんスーパーで売り切れてるか、1円玉がひとつ足りないせいで釣銭999円帰ってきて、財布重~ってなるわ」と返信が。
思わずクスッと笑ってしまいました。他人の不幸は笑えないですけどこれぐらいの怒る相手のない不運なら、笑ってもいいかなと。
もちろん外見的には分かりづらい疾患もたくさんあるのでその方がそうであったかなかったか分かりませんし、それを言ったら若い女の子の方も健康だったかどうかは分かりません。
ただ言い方、いたたまれないような空気感がその女の子だけでなく周りも嫌な気持ちにさせたのは間違いなく、あらためて言葉って使い方を間違えると一瞬でたくさんの人の心を傷つける道具になるんだなと思いました。
わたしは昭和のこどもなので小さい時から、誰も見てないと思ってもお天道さんが見てるよ(イマドキの人へ お天道さんは太陽のことです)とか、悪いことをしたらバチ(罰)が当たるよなどと言われて育ってきました。自分の行動を自分で戒めるような言い回しがたくさんありますが、おばちゃんは忘れてしまったのかなあ。そして、おばちゃんが100%悪かったらきっとバチ当たるやろ、と思うのでした。
発想力の転換
もやもやの後、クスっと笑わせてくれた友人。
この発想力は見習おうと思いました。嫌なことだけでなく失敗なども含めて、ヒトの脳はネガティブな情報の方に固執しがちな仕組みだそうなのですが、いつまでもそこにフォーカスを合わせていると、不安や落ち込みが拭えずなかなかうまくいかない。それをいろいろな見方で発想を変えるとこんなにもユーモラスにできて、おかげであとのレッスンでももやもやを引きずることなく楽しく過ごせました。
そんな風に物事の受け止め方を丸く、自分の心ができるだけ穏やかでいられるようにしたい。
そのためには発想を転換させる練習が必要だと思います。
例えば誰かに何かを注意されたとします。がーん、と最初に自分が情けなくなる人もいれば、注意してきた人に攻撃的な気持ちになる人もいるかもしれません。
それでもいつか時が解決してくれるし、注意されたところができるようになれば解消されるので、別にそのままの受け止め方でもいいと思います。
が、一足お先にすっきりしたいと思ったら、例えば、注意してくれたので今(これからの人生の中で「今」が一番早い、一番若いタイミングです)気づくことができた、よかった!と思えばちょっと丸くなりませんか。あくまで例ですけど。
よくポジティブシンキングって言いますけど、ポジティブな人はポジティブだからポジティブシンキング、とは限らないのです。ポジティブに考えるトレーニングを積んで上手にポジティブになれている人もいるのです。
これもKaQiLa~カキラ~の指導者養成コースの初っ端に言われるのですが、「コース中、褒められたところはお世辞でもなんでもなく、自身の最大限の魅力なので照れたり謙遜したりせずに大事に持ち続け、育て続けていくべきところ。逆に、直した方がいいと言われたところは必死で直す努力をしないと生きていくうえで自分の足を引っ張ることになるところ。」大人になって、自分と向き合うためのこんなにストレートな言葉を掛けられることがなかったのでよく覚えています。
注意や指導を苦く受け止めるのではなく、自分が生きていくうえで楽になるためだと思えたら客観的に指導してもらえる有難さが、苦々しい気持ちを吹き飛ばしてくれませんか。
また相手に何か苦言を呈さなくてはならないときには、逆にその人の気持ちを奮い立たせる声の掛け方がしたいと思えるようになります。そうなったらもう、発想の転換練習はだいぶ弾みがついているような気がします。
言葉も転換する
わたしが入講するずっと前から、そして今も変わらず、KaQiLaの指導者養成コースでは言葉遣いの指導を受けます。
以前にも書きましたが、その方の動き、ひいてはその方自身を決して否定したり落ち込ませたりしないための言葉選びのトレーニングです。
「~できなかったら~してください」ではなく「~できそうだったら~してみてください」(厳密には、「してください」っていう表現もほぼ使いません)というように言い換えるのは意識して練習しないとなかなかできません。
先日から、新しいシステムになった養成コースの各期各段階の試験が行われていますが、とにかく相手に気遣いのできる言葉が選ばれていない場合はいくら上手に型の指導ができていても、即落第、となります。逆に上手に言えなくても型の最低限の安全性が確保されていれば気遣いができている人は次の段階へと進んでいきます。
なにせKaQiLa~カキラ~って60分なら60分丸々、しゃべりっぱなしですから。言葉にこめるものについて、試験の中でも重要視されています。
「~してください」って言わなくてもそうしていただけるように、ただただ身体を楽にするだけではなく心まで楽になっていただけるように、何度も何度も人前で練習を繰り返します。
これがひいては一生役立つ人間力をも上げるトレーニングになっているんじゃないかと思うことがよくあります。それに早く気付いた人から羽が生えるように変化していかれます。もちろん最初から気遣いできる人はたくさんいらっしゃいます。でもその気遣いを持っているだけでなくきちんと周りに発揮できるようになっていく。偉そうに聞こえたらすみません。素敵だなあと思う振る舞いを自然にされるので一緒にいて嬉しいなと思える場面が増えていくのです。そして自分を振り返って、合格をいただいた時の初心へ帰らなきゃ!と慌てて努力を始める気持ちになるのです。
何が言いたいかというと
お天道さんは見てる、です。別に宗教的な意味合いではなく、自分がしたことは自分だけが知っていると思っていても、いつかどこかできっと露呈される時が来る気がします。気遣いの言葉を使い続けていたらいずれきっと自分に巡ってきて自分を助け、人を押しのけていたらいつか押しのけられる。
生まれて死ぬまでただ生きていくだけ、どうやって生きたって自由だけれど、わたしはKaQiLa~カキラ~と偶然出会って、それからレッスンする身になって、たくさんの素敵なものを、レッスンを受けている皆さんから逆にいつも頂いています。時には失敗もするけれど、やってよかったなあと思わないときはありません。
同期でドイツ在住のTAMAKIさん(第2第4木曜日のブログに登場しています)が、ポロっと言った「ドイツから日本に帰国したお客様が、日本発祥のカキラだから日本に帰ればどこででも受けられると思っていたのに都市圏に集中していてどこでもってわけじゃないなんて!って言われたの。わたしたちもっと頑張らなきゃ」の言葉に、どこででもKaQiLa~カキラ~のレッスンが受けられるように仲間を増やしていきたいなと強く思っています。
でも必ずお天道さんは見てるので、コツコツ真摯に仲間を募っていくしかないのですよね。もしこれを読んで、チョットだけでも話聞いてみようかなと思ってくださる方がいればご連絡くださるとありがたいです。
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