29Jun
こんばんは
第2第4火曜日、今月は第5週も担当 THD,Japan〜日本総合健康指導協会〜認定カキラリストのたかだっちです。
唐突ですがわたし小学校の時はそうでもなかったんですが、中学校に入ってからは本当に勉強が嫌いでした。
小学生の時は、興味を待たせるように先生が工夫を凝らしてくれていたのにうまく乗せられていた気がします。ですが中学生になると自分で勉強しなくてはならず興味のあるものとないものがはっきり点数になって評価されるとダメダメさが際立って。どこにつまづいたのかもわからないぐらいこんがらがってトホホな成績表を毎回恨めしい気持ちで持って帰りました。
弟はわたしに輪をかけて勉強嫌いだったので、もうこれ以上は勉強しなくていい世界に行きたい、と好きな業種に就職したにもかかわらず、そこで待ち構えていたのは数々の資格試験と勉強でした。
そう、大人になっても勉強って終わらないんだ、と思ったのは残念ながら大人になってからでした。
ただし、大人になってからの勉強は、もちろん通らなきゃいけない試験付きのものもありますが、興味のおもむくまま学べるところがいいところで、勉強嫌いのわたしが何のためらいもなく勉強し始めたのがろっ骨エクササイズKaQiLa~カキラ~でした。
KaQiLa~カキラ~そのものは体験していましたが、当時おばあちゃんの身体の調子や自分の不調を改善するのにはっきり役立つ!と感じたのは、ひとに誘われていった無料説明会でした。そんな簡単なことでこんなに楽になっていたの??とその仕組みに驚愕したのと、あまりにも親切に質問に答えてもらえたのが嬉しくて、今に至るのです。きっかけやご縁って不思議なものです。
人生すべて勉強
そう言われていますしオトナならどんなお仕事をされててもお仕事そのものをしていなくても全員がうんうんとうなずくところだと思います。
KaQiLa~カキラ~も、KaQiLa~カキラ~そのもの以外にもたくさん勉強するところがあります。
つい先日も私達カキラリスト全員が所属するTHD,Japan〜日本総合健康指導協会の社長自ら勉強会を開催してくださる機会があったのですが、
わかる・できる・できつづける
この3つの事の間にとんでもない隔たりがあるということを思い知りました。
この言葉はわたしがカキラリストになった時からことあるごとに耳にし、機会があれば初めて聞いた時の打ちのめされ感をまたお伝えしたいと思うぐらいです。
インストラクターとして働く私達にとても大事な認識なのですがレッスンを続けていくのに必要なビジネス面でのアプローチを、現状をよく分かってくださる方から聞けるのは本当に幸運というか有難いところで、ヨイショでもなんでもなくそう思います。(いや本当に。私達、社員ではありませんからヨイショしても昇進も昇給もないですから。笑)
そして、勉強は興味があるものを興味のままに、の姿勢は変わらずとも、徐々に興味のアンテナが増えてくるのが自分でも面白いなと思います。
勉強ができるからいろいろ勉強するのではなく、勉強ができないからあれやこれやと気になるのです。
勉強になるなあ
昨年の今頃、スピーチロックという介護の現場で使われる言葉を知りました。
言葉によって行動を押さえつけるという意味で、物理的に身体を拘束するフィジカルロックや薬を用いておとなしくさせるドラッグロックと並び問題視され減らしていこうと努力されているもののことです。
状況によっては生命を守るために必要と判断されるフィジカルロックやドラッグロックが目に見える道具を使うためそれが限定的に使われるケースであることが判別しやすいのに比べ、道具も何も使わず、普段の何気ない言葉遣いそのものがスピーチロックになってしまうあたりがなくしていくことの難しさだと教えてくれた友人は話していました。
そう、普段の何気ない言葉が、相手の行動の抑制につながるだけではなく、精神的には不安を呼び起こし、怒り、屈辱といった感情につながったり、逆にあきらめなどから意欲や気力の低下を起こすというのです。
例えば、「ちょっと待って!」というなんでもなさそうなこの一言で相手を
・じゃあもういい
・えーじゃあどうすればいいっていうの
・なんでなの
・イライラ
・ムカムカ
・ひどい
・じゃあもうなにもしたくない
・どうせ無駄だ
という気持ちにさせているかもしれないのです。
すぐに修復できた場合はいいですが、積み重なると不信感へとつながりどんな言葉も行動も相手に届かなくなってしまったとしたら。
そしてどうしても誰かの手を必要としている人の生きる気力まで奪ってしまうことになったら。
魔法の言葉を学べば
介護のプロどころか介護士の皆さんを育てる役目のあるその友人が教えてくれた魔法の言葉は、
「どうされましたか?」でした。
相手の尊厳を損なわず、気持ちに寄り添う言葉だから相手のお名前に添えて使うといいよと。
相手に待ってもらいたいとき、してほしくないことをしようとしている時こちらの気持ちを伝えるのには
・根拠をひとこと添える(押し付けてしまわないように)
・代替案(相手の希望を聞き取ったうえで)を提案する
・クッション言葉(恐れ入りますが、お手数ですがなど)を活用する
のが有効だからとのことでした。
このコロナ禍で、他人との接触が制限されている分、介護しているご家族や身内といった近しい人間環境がとても濃いうえに長時間に渡ったりすると、少しずつ誰もが疲弊して、なおさら気づかぬうちに誰かを打ちのめしているかもしれない。
そしてこれって、介護の世界でなくとも日常生活でも大切なことですよね。
なので、昨年この言葉を知った時になるほどそうか!と分かったので
分かるをできる、に変えられるように
スピーチロックをカキラリストとしての自分に置き換えて考えてみました。
カキラリストの場合はどんなことに気を付けているの
レッスン中にこんな言葉かけをすることがあります。
カキラーの方は今まで一回は聞いたことがあると思います。
「坐骨がついていたらどんな座り方でもいいですよ」
決して「胡坐ができない方は胡坐じゃなくてもいいですよ」とは言いません。
一瞬、え?どこが違うの?と思いませんか。
元々、KaQiLa~カキラ~の養成コースで学ぶインストラクションではスピーチロックに似たことを勉強します。インストラクションの言葉の選び方の勉強です。
「~~できない方は~~しなくていいですよ」一見、無理をさせない優しい言葉がけに聞こえますが、この言いまわしは注意されます。そのままだと修了試験では限りなく不合格ラインに近づきます。
それは「~~できない人」に該当する人が自分のことをその場に居合わせた人より劣っていると感じてしまうからです。KaQiLa~カキラ~のレッスン中は誰一人として劣等感を味わったり、できないことを恥じたりしなくていいように、むしろ自分に「できる」を見つけていただけるように声を発します。
できる人目線から降りてくるのではなく、できない、身体や関節が固い、運動が苦手だと思い込んでる人の目線から、自然と自信に繋がる、言わば上がる言葉とでもいうのでしょうか、そういう言い回しを探して練習します。
ですが、どうしても危ない動き(リスク)を見つけると回避しようとロックを掛けに行ってしまう場面もあるかもしれません。その時に大切なのが、次来るのが嫌にならないように、何よ偉そうに!と思われないように最後まで楽しんでいただくための魔法の言葉を探すこと。
先述の介護の際の改善法を参考に、どうしてその動きだと危ないのかという根拠を示したり、別の動きで同じ効果のあるものにアプローチ法を変えたり、クッション言葉に代わるような雰囲気を壊さない一言を挟むことでマイナスの気持ちを起こさせないことができると思います。
観察と洞察
友人の話の中で更に印象に残ったのは観察と洞察の違い。
観察というのは外面的なところを、洞察というのは内面的なところをよく見て、それらを合わせて考察することでより良い介護ができると。
動きが安全であるかを観察する力、レッスンを楽しんでいただけているかを洞察する力、そこから学びレッスンをより良くするための考察力、どれもカキラリストにとって大事に磨いていかねばならないものです。
少しずつ意識して行動していたつもりですが、できるは遠いです。
また、リスクそのものを回避するために型の勉強はもちろん、機能解剖学、生理学といった身体の事を勉強し知識を増やすことが何よりも安心してレッスンを受講していただくうえで大切になってくるからこそ、みな必死で勉強しています。
自分の発した言葉で誰かが傷つくことがないように、今は喜んで勉強し伝わる言葉を探す日々は続くのです。
今回は勉強嫌いな私が、つい頑張って勉強しようと思えてしまうことを書きましたがこれもカキラリストが「ありがとう」という言葉とともに笑顔を向けていただけるお仕事だからこそ。
8月からはまた養成コースがスタートします。
7月には無料説明会も開催されます。
インストラクターになる気なんてこれっぽっちもない、というわたしみたいな方もひょっとしたら人生そのものが勉強、って思えるようなご縁があるかもしれません。
是非一度お問い合わせくださいね。
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